オメガについて知っておきたいポイント(前編)

時計特集

オメガは、現在のウォッチブランドの中でも、最もよく知られたブランドのひとつではないだろうか。ブランドを代表するスピードマスターやシーマスター、コンステレーションをはじめ、NASAやオリンピック、そしてジェームズ・ボンドにまつわるモデルに至るまで、世界中の時計愛好家たちから然るべき評価を得ている。ここではオメガについて知っておきたい10個のポイントを紹介する。
Originally published on watchtime.com


1)名前の由来は?

Ω

1894年製のムーブメント。ギリシャ文字でオメガのロゴマークがエングレービングされている。

 1848年、オメガ創業者のルイ・ブランが、スイスのラ・ショー・ド・フォンにオメガの前身となる会社を設立。1877年には、ルイ・ブランの息子のルイ・ポールとセザールが会社経営に参画し、会社名は「ルイ・ブラン&フィルズ(Louis Brandt & Fils)」となった。1894年、この会社は高い精度とメンテナンスが容易な、世界的に成功を収めるムーブメントを開発。この成功により1903年に会社名は「ルイ・ブラン&フレール -オメガウォッチ(Louis Brandt & Frère –Omega Watch Co.,)」となり、オメガというブランド名が誕生したのである。


2)時刻の精度

7.5ミニッツトゥールビヨンレギュレーター搭載のオメガ30i天文台キャリバー。トゥールビヨン・レギュレーターを搭載した最初の腕時計。1950年にジュネーブ天文台における精度の記録を破った。

 19世紀と20世紀初頭、まだクォーツもGPSもないころ、国家や産業は精度の高い機械式時計に頼っていた。この分野の改革を進めるため、ヨーロッパ各地で天文台による精度コンテストが実施されていた。この時間計測における耐久競争では、さまざまな種類の時計が長時間にわたりテストされ、勝者は地位と名誉を得ることができた。トップクラスのブランドたちがこぞってこれに参加し、凌ぎを削った。オメガはこれらのコンテストで数々の記録を樹立し、大きな成功を収めた。1931年のジュネーブ天文台のコンテストでは、オメガは6部門すべてにおいて勝利を収めている。同じ年、オメガは広告に「オメガ、人生に正確な時間を」というスローガンを採用しているが、誇大ではなく、数十年にわたる天文台コンテストにおける結果に基づいた主張なのである。


3)世界の果てまで探検する

南極

徒歩での3ヵ月間もにわたる旅の末、南極にたどり着いたラインホルト・メスナー。

 西洋人として最初に北極点に到達したのは誰か? という議論に、ロバート・ピアリーや、フレデリック・クックという名前が挙げられる。だが、ラルフ・プレステッドが最も有名なのではないだろうか。
 プレステッドは、元はアメリカ・ミネソタの保険外交員であり、アウトドア好きなスノーモービル乗りであった。彼と友人たちは、当時まだ新しいものだったスノーモービルを使って北極点到達を考えたという。プロ転向へのストーリー作りのひとつとして、彼はそれを成し遂げたのであった。彼が率いるチームは、カナダのワードハント島から412マイルの行程を出発した。そこはロバート・ピアリー(記録上ではピアリーが最初に到達したとされるが、正式な証拠が残されていない)の出発点だったエリスメア島からもほど近い拠点だった。スノーモービルを駆使し、オメガのスピードマスターと、六分儀を装備して位置を特定していた彼らは1968年4月19日に43日間の行程の末、北極点に到達した。プレステッドのチームは、上空を飛ぶ米軍のC-135の位置確認によって世界で初めて北極点到達を公認された。現在では、多くの歴史家たちがプレステッドたちが陸路北極点に到達した最初のチームであったということで合意している。

 一方、地球の反対側では、1990年2月にアルブド・フックスとラインホルト・メスナーが「地球の最後の未踏の地」と呼ばれていた拠点を征服した。ふたりは南極大陸を徒歩で、1740マイルを92日間かけて踏破した。-40Fの気温と毎時90マイル以上の風が吹き荒れる中、ティエル山地から南極点を目指したのち、マクマードサウンドからロス海へと抜けた。この探検におけるメスナーのタイムキーパーはオメガのスピードマスターであった。


4)宇宙でも正確に

ムーンウォッチ

宇宙でスピードマスター、通称ムーンウォッチを装着するバズ・オルドリン。

 1962年秋、ウォルター・シラーやリロイ・ゴルド・クーパーを含む宇宙飛行士の一行が、マーキュリー計画で使用する腕時計を手にするためにヒューストンの時計店を訪れた。店を出る一行が手にしていたのはオメガのスピードマスター、ここからオメガの宇宙探検の歴史が始まったのである。
 翌年のマーキュリー計画の最後に、宇宙飛行士たちは当時NASAのオペレーションディレクターだったドナルド・スレイトンに働きかけ、トレーニングと飛行の時に着用する時計を支給するよう頼んだ。タイミングは完璧であった。ちょうどNASAは宇宙飛行士が身に着ける装備を厳選し、テストして、特定するためのエンジニアたちを雇用したばかりだったのである。NASAはいくつかのブランドの時計を壊すかのような過酷なテストを課した。そして1965年3月1日、NASAは勝者を発表し、スピードマスターのRef.ST105.003を「全ての有人宇宙飛行計画に適合した」ものとしたのだった。

スピードマスター

国際宇宙ステーションの外で使用されるスピードマスター。

 その後の1969年7月21日、ニール・アームストロングは月面着陸船イーグル号から船外へと踏み出し、地球外に降り立つ最初の人類となった。しかしながら実は彼は時計を着用していなかったのである。宇宙船内の時計が動かなくなっていたため、自分の時計をイーグル号においてきたのだった。その数分後、バズ・オルドリンが月面に降り立った。その腕には時計が着用されており、こうしてオメガのスピードマスター プロフェッショナルは月面で着用された最初の時計となったのである。


5)海のマスター

コーアクシャル

(写真左)発表当初のシーマスター 300。(右)コーアクシャルムーブメント搭載の現代バージョン。

 オメガは1948年にシーマスターをブランドの100周年記念モデルとして発表した。そしてそれは、スピードマスターやコンステレーション、デ・ヴィルを含む現行コレクションの中で最も息の長いコレクションとなっている。シーマスターは、オメガが第2次世界大戦中に英国軍向けに作っていた時計をほぼ原型としている。1957年、オメガはシーマスターのプロフェッショナルモデル「シーマスター 300」を発表した。
 フランスの海洋学者ジャック=イヴ・クストーのチームは、1963年に紅海で行った、ダイバーたちが人工組成ガス環境下で副作用無しに長期間過ごすことができるかを実験する"Precontinent II"のなかでシーマスター 300を着用。
軍事部門では、英国スペシャル・ボート・サービスが公式時計としてシーマスター 300を採用している。

 オメガはまた、深海で生活し仕事をするダイバーのために、プロプロフ(Ploprof/PLOngeur PROFessionel="プロフェッショナルダイバー"の略)シーマスター 600の製作にかかり、4年の研究と試験期間を経て、1970年に発表した。研究開発の間にオメガはプロプロフを600mの水深と、マルセイユの海中1000mとでテストを繰り返した。1970年9月には潜水専門会社コメックスの3名のダイバーがプロプロフを8日間着用し、250mの水深で毎日4時間の作業を行った。ジャック=イヴ・クストーのダイバーたちもまたこの時計をマルセイユで、500mの水深での実験時に着用している。
 このような実績から、オメガのシーマスターの名前はプロフェッショナルダイビング向けの腕時計として知られることとなる。



Contact info: オメガお客様センター Tel.03-5952-4400



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