時計の賢人、その原点と「上がり時計」/コモンタイム代表取締役社長、田中孝太郎氏に聞く

時計特集

安堂ミキオ:イラスト

 時計の賢人たちの原点となった最初の時計、そして彼らが最後に手に入れたいと願う時計、いわゆる「上がり時計」とは一体何だろうか? 本連載では、時計業界におけるキーパーソンに取材を行い、その答えから彼らの時計人生や哲学を垣間見ていこうというものである。
 今回は、男性向けの骨太ラインを中心にセレクトする高級腕時計専門店「コモンタイム」を立ち上げ、その経営手腕によって横浜を中心に現在4店舗まで店舗を増やしたCHARMY代表取締役社長の田中孝太郎氏に話をうかがった。田中氏が原点として挙げたのはルクルト製のアンティークウォッチ、「上がり時計」として挙げたのは「ヴァシュロン・コンスタンタン」の現行モデルである。その言葉から、田中氏の人物像に迫ってみよう。

今回取材した時計の賢人

田中孝太郎

田中 孝太郎 氏
株式会社CHARMY/代表取締役社長

横浜市生まれ。ジュエリーの専門店として1964年に創業したCHARMYの2代目として株式会社CHARMYへ1992年に入社。その後、同社の高級腕時計専門店であるコモンタイムを横浜元町に立ち上げる。コモンタイムは現在、横浜市内で3店舗、東京都内では渋谷に1店舗を展開中。なお、田中氏は横浜外国人墓地にあるフランソワ・ペルゴ(ジラール・ペルゴ創業一族のひとり)の墓地の整備にも力を注いでいる。

●コモンタイム 公式サイト http://www.common-time.jp/


原点は、ルクルト製のアンティークウォッチ

Q.最初に手にした腕時計について教えてください。

A. 小学校へ上がる前に両親が買ってくれたミッキーマウスウォッチです。ミッキーマウスの腕を時分針に見立てた子供用の腕時計で、紺と緑色のナイロンストラップが付いていました。すごく気に入っていたので鮮明に覚えています。ただブランドは覚えていなかったので調べたところ、当時ミッキーマウスウォッチは海外製とセイコー製が販売されていたようです。おそらく私の両親が選ぶものですからセイコーだったと思います。

 自分で初めて買った腕時計は、学生時代に買った1960年代のルクルト製のアンティークウォッチです。本当はロレックスに憧れていましたが、予算的にアンティークウォッチを選び、必死に貯めたアルバイト代で買いました。当時は元町界隈にもアンティークウォッチ屋がいくつかあったんですよ。ちなみに今はそのルクルトの時計を、私の妻が革ベルトを替えて使っています。自分の生まれたころに製造されたアンティークウォッチが今でも動いていて、自分の家族などと時代を超えて共有できる、その点が機械式時計の魅力だと思いますね。

ルクルト

田中氏の記憶に残る1本、1960年代製ルクルト(ジャガー・ルクルトの前身)のアンティークウォッチ。


「上がり時計」は、ヴァシュロン・コンスタンタン「ヒストリーク・アメリカン 1921」

Q.人生最後に手に入れたい腕時計、いわゆる「上がり時計」について教えてください。

A. ヴァシュロン・コンスタンタンの「ヒストリーク・アメリカン 1921」です。これには明確な理由があり、長年憧れているクラシックカーに、将来これを着けて乗りたいと考えているからです。その車はどんどん値上がりしてしまっていて、初めて欲しいと思ったころから現在まで5倍ぐらいまで高騰してしまいましたが、ヒストリーク・アメリカン 1921を着けてその車を運転することがセットで目標になっていますから、何とか頑張りたいですね。私は車マニアというわけではないのですが、コモンタイムのお客様や地元の友人に車マニアが多く、彼らと腕時計や車そしてファッションの話をすることが多いのです。だからライフスタイルの一部として腕時計を選ぶことで、彼らと世界観を共有できることがうれしいですし、その感覚をこれからも大切にしていきたいと考えています。
 私が年を取って仕事を引退したら、時計や車好きの仲間たちがドライブの途中で寄れるようなカフェを景色の良い山の上に作りたい、なんてこの頃は考えています。

ヒストリーク・アメリカン

田中氏の「上がり時計」は、ピンクゴールド製のヴァシュロン・コンスタンタン「ヒストリーク・アメリカン 1921」。斜めにセットされた文字盤は、自動車のハンドルを握ったままでも、手首をひねらずに時刻が読み取れるようにと1920年代にヴァシュロン・コンスタンタンが考案したもの。


あとがき

 ヴァシュロン・コンスタンタンという時計ブランドを選んだことに対して、「昔から変わらない、真面目な時計作りへの姿勢が支持できるから」と答えた田中孝太郎さん。コモンタイムを立ち上げる際にも、ブランドの規模や知名度ではなく、評価されるべき時計ブランドを見定めてセレクトしたという。「この仕事を始めた当時は、まだ日本ではあまり知られていなかったが、評価されるべき時計作りをしているブランドが多くあり、それをひとりでも多くの人に知ってもらいたいと思ってきました」と語る言葉に熱がこもっていた。時計店の役割と力を再認識する取材となった。


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