薄型化のためのムーブメントとデザイン(後編)

時計特集

AUDEMARS PIGUET

薄型を作り続ける名門のノウハウが結実した成果

1940年代以降、薄型時計の製造で世界的な名声を得たオーデマ ピゲ。近年は、大きく厚い「オフショア」などに傾倒しているものの、かつてのDNAは、今も同社に根強く残っている。今年発表された「ジュール・オーデマ」とは、そんなオーデマ ピゲにしか作り得ない薄型時計の傑作と言えるだろう。名門ならではのノウハウを追うべく、取材陣はル・ブラッシュの工房を訪れた。

奥山栄一、矢嶋修:写真 Photographs by Eiichi Okuyama, Osamu Yajima
広田雅将、鈴木幸也(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota, Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
この記事は 2011年10月発売の11月号に掲載されたものです。

 今年、ロイヤル オーク〝以外〞のモデルをテコ入れしたオーデマピゲ。彼らが力を入れたのは、新型ムーブメントを搭載した「ミレネリー」と、薄型の「ジュール・オーデマ」コレクションである。新しいミレネリーと同モデルが搭載するキャリバー4101については、本誌第36号(66ページ)で解説した通りだ。基本性能に優れたムーブメントであり、テコ入れとしては十分すぎるほどだろう。しかし、筆者は、薄型ムーブメントを載せた新しいジュール・オーデマにはそれ以上に魅せられた。とりわけ、極薄の名機キャリバー2120を載せた「自動巻き Extra-Thin」は、今年の白眉と言って良いのではないか。

 現在、オーデマ ピゲは自社製の基幹キャリバーを3つ擁している。手巻きのキャリバー3090、自動巻きの3120、そして、薄型自動巻きの2120系だ。前ふたつは90年代以降の設計であり、当然、生産性は考慮されている。対して、2120の基本設計は1967年(設計はジャガー・ルクルト)。オーデマ ピゲに設計と生産が移管された後も、その基本構造は変わっていない。生産性はお世辞にも高いとは言えないだろう。筆者がル・ブラッシュにあるオーデマ ピゲの工房を訪問した際、その2120系がまさに組み立て中であった。

 現在、2120系の組み立てに携わるのは6名。その責任者がフランソワ・サンチェス氏である。オーデマ ピゲに在籍すること39年、いわば2120の生き字引きである。「3090の組み立てに必要な時間は3時間から3時間半。一方、2120系は約8時間かかります」。2120系のムーブメントの厚さはカレンダーなしで2.45㎜。厚さを抑えるため、香箱はブリッジだけで支えられており、自動巻き機構も複雑な地板に埋め込むように配置されている。これほど凝ったムーブメントだと、ただ部品を組むだけでは動かないだろう。

デザイン部門で見た「ジュール・オーデマ 自動巻き」の文字盤サンプル。仕上げの異なる文字盤が複数並んでいた。強いサテン仕上げを選ぶことで、平たい文字盤でも平板さを感じさせない。これもノウハウのひとつと言えるだろうか。

2針のCal.2121に針を取り付ける作業。紙1枚も通さない程度に、針と文字盤のクリアランスを詰めていく。文字盤と針の取り付けに要する時間は約1時間20分。針の自動取り付けが当たり前となった現在では、極めて珍しい光景だ。

2120系の組み立て責任者のフランソワ・サンチェス氏。レマニアに9年在籍した後、オーデマ ピゲに39年間勤務している。彼が手に取っているのは、組み立てのノウハウをまとめた『ガム・ド・モンタージュ』。サンチェス氏の持つノウハウが凝縮された“虎の巻”である。1年がかりで完成した。

 部品調整のプロセスを見せてもらった。まず目を引いたのは、香箱の穴開けである。正しくは、バリ取りと穴開け、穴の硬化作業だ。香箱真が収まるよう、穴を100分の2㎜から100分の3㎜拡大させる。加えて穴を硬化し、耐久性を持たせるという。別の場所では、ローターのアガキ(軸の上下方向の遊び)を調整していた。2120系は地板に埋め込んだルビーベアリングでローターを滑らせる。そのため、アガキが適切でないと、ローターはうまく回らない。指でローターを押さえて、アガキを調整するのだが、その幅は100分の2㎜。部品の工作精度がいくら上がったとは言え、薄型ムーブメント、とりわけ、2120系ほど複雑なものの場合、調整は欠かせない。しかも、一度組み立てられた2120系は、各部の動作をチェックした後、惜しげもなく分解される。ただの自動巻きにもかかわらず、二度組みを行うのだ。かつて、ある関係者が「2120は複雑時計ほどには面倒だ」と嘆息したはずである。

 聞けば、サンチェス氏は来年には引退するという。彼が去った後、ノウハウの塊のような2120系の組み立てを指導できる人間はいるのだろうか。「『ガム・ド・モンタージュ』というノウハウを記した本を作りました。丸1年かけて、完成したのは2010年です」。ページを開くと、組み立てる際、どこを修正するのかなどが細かく記されている。「かつて、オーデマ ピゲは、2120系を年に3000個から5000個も作っていました。だから、組み立てのノウハウは十分にあります」。加えて、オーデマ ピゲは、2120系の設計を進化させた。関係者は語る。「昔、設計元のジャガー・ルクルトに部品の設計変更を依頼したのですが、彼らには直せなかった。だから、自社で設計を変えました。例えば、今の2120は香箱真をきちんと穴石で支えています。また、香箱自体にも特殊なメッキを施しています」。香箱が金色なのは、硬化処理として金と銅、そして、カドミウムのメッキをかけているためだ。サンチェス氏も「自社でムーブメントを作るようになってから、生産性は上がりましたね」と言う。

 薄型時計の場合、外装の組み付けにも、やはりノウハウが必要だ。工房の2階では、Extra-Thinの文字盤と針が取り付け作業中であった。「2120の場合、文字盤と針を取り付けるのに1時間はかかります。カレンダー付きの2121は約1時間20分です」。ロゴに保護テープを貼り、丁寧に針と文字盤のクリアランスを整えていく。その緻密さは、前ページの文字盤と針の写真が示す通りだ。かつて、2120系に針を取り付けられる職人はひとりしかいなかった。今は増えたと聞くが、それでも4人だという。薄型時計の製造とは、いまだに熟練工が支配する世界なのだ。

ジュール・オーデマ 自動巻き Extra-Thin

ジュール・オーデマ 自動巻き Extra-Thin
2011年の新作。名機中の名機、Cal.2120を搭載する。サイドを膨らませたケースは、従来のジュール・オーデマに同じ。しかし、サイドの張り出しを抑え、ベゼルを細身に仕立てている。あえて「平たい」文字盤と併せ、意匠の完成度ははるかに高まった。安価ではないが、かかる手間を考えれば決して高価ではない。18KWG(直径41mm)。2気圧防水。194万2500円。
Cal.2120

Cal.2120
初出1967年。設計はジャガー・ルクルトによる(ベースはCal.920)。センターローターで、かつ、2番車を中心に置くという手堅い設計ながら、2.45mm(カレンダーなし)という薄さを実現。自動巻きを代表する傑作である。36石。1万9800振動/時。パワーリザーブ約40時間。

 サンチェス氏が述べたように、かつても2120などを載せた薄型時計は存在した。しかし、中身は進化し、ムーブメントをくるむ意匠も当時とは異なる。新作のジュール・オーデマが良い例で、薄型とは言え、70年代風の平板さはなく、きちんと立体感が備わっている。加えて言うと、以前のジュール・オーデマと違い、ケースサイドの処理も巧みだ。「ケースサイドをまっすぐ落とすと時計が厚く見えます。だから、厚みを感じさせないように丸みを与えました」。こう説明するのは、デザイン部門に所属する、ルハス・ゴップ氏だ。「以前のジュール・オーデマは、ケースサイドの膨らみの幅が広かったのですが、今回の新作ではやや薄くして、少しエッジを利かせました。併せて、ベゼルも細くしています」。同社がベゼルを細くするようになったのは2008年のこと。今年はそれを薄型に転用したわけだ。

 ベゼルを細くすると文字盤は拡大する。しかし、ジュール・オーデマは、従来のようなエンボスではなく、平たいサテン文字盤を採用した。サンプルを見せてもらうと、筋目の深さを変えた文字盤が、ずらりと並んでいた。ゴップ氏はサテン仕上げの理由を「50年代風だから」と語ったが、サテンの深いものを選ぶことで、平たい文字盤に見られる間延び感はまったくない。そのバランスたるや見事なものだ。

 筆者もすっかり忘れていたが、かつて、オーデマ ピゲは薄型時計作りの第一人者であった。工房を回った限りの印象だが、薄型時計作りのノウハウは、今もってオーデマ ピゲに根付いているように感じた。そんな彼らの作り上げた薄型が悪かろうはずがない。もし、薄型時計を探している人がいるなら、筆者は無条件で今年のジュール・オーデマを推したい。これこそが、名門にしか作り得ない薄型時計である。

Cal.2120

Cal.2120の地板。厚さを抑えるために香箱の下が抜かれている。よって、香箱を支えるのは受けのみ。スイッチングロッカー式の自動巻き機構は複雑に彫られた地板に埋め込むように配置される。現在の設計には見られない自動巻きの傑作だ。

2120系には欠かせない、香箱の穴開け作業。職人が手にしているのはヤスリではなく、鋼の棒。穴をなぞることで、加工時のバリを落とし、穴を広げ、かつ、穴の周囲を硬くする。部品の加工精度は上がったが、いまだに調整は欠かせない

ローターのアガキ調整。薄型自動巻きムーブメントの組み立て工程では珍しくない光景だが、2120系の場合、求められる厳密さが違う。ローターを地板のルビーベアリング(地板に4つ埋め込まれている)でも支えるため、きちんと水平が出ていないと、ローターの回転に支障が出てしまうのだ。

2ジュール・オーデマの新作の3Dモデリング。エッジの利いたケースサイドの
張り出し、複雑な曲線を描いて先端に落ち込んでいくラグ、文字盤の大きな開口部など、今年のジュール・オーデマに共通する特徴が見て取れる。「見た目でも薄く感じられるようにデザインした」とはデザイナーの談。
ジュール・オーデマ 自動巻き

ジュール・オーデマ 自動巻き
今年の新作。必ずしも薄型時計のカテゴリーには入らないが、ケースの厚さは9mmに留まる。実用性だけを考えれば、右ページのモデルよりお勧めか。近年のオーデマ ピゲらしく、針や文字盤などの質感も良好だ。とりわけ、強めのサテンを施した文字盤は出色の完成度を見せる。価格も戦略的。18KPG(直径39mm)。2気圧防水。157万5000円。
Cal.3120

Cal.3120
初出2004年。設計はCal.3090も手掛けたクロード・キュルタ氏。スイッチングロッカー式の自動巻きに、センターセコンド輪列を持つ。テンプの慣性モーメントがやや小さいため、ドレスウォッチ向きのムーブメントである。40石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約60時間。

Contact info: オーデマ ピゲ ジャパン ☎03-6830-0000

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