モリッツ・グロスマン ハンドメイドウォッチを生み出すマイスターたちの手仕事

時計特集

美しき手仕事を追って…

ドイツ高級時計産業の聖地と呼ばれるザクセン州グラスヒュッテ。東西ドイツの再統合による復興から四半世紀を経て、産業規模の拡大とともに、この地にも大規模工業化の波は押し寄せている。2008年に創業したモリッツ・グロスマンは、失われつつあった“グラスヒュッテの手仕事”に再び光を当て、ファーストモデルの完成から約10年を経てなお、その姿勢を貫き通している。ハンドメイドウォッチを生み出すマイスターたちの手仕事と、その横顔に迫ってみたい。

三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
鈴木裕之:取材・文 Text by Hiroyuki Suzuki

新規開発を加速させる第2世代の設計者たち

 2008年にグロスマン・ウーレンGmbHとして登記された新生モリッツ・グロスマン。まだグラスヒュッテ駅から西側に延びるハウプトシュトラッセ(中央通り)沿いにあるアパルトメントの一室に事務所を構えていた09年に、最初の社員として迎え入れたのが、長きにわたって設計主任を務めることになるイェンス・シュナイダーであった。ファーストモデルのベヌーに始まるCal.100系列や、トゥールビヨンのCal.103系列は、すべて彼の設計だ。ふたり目の設計士としてモリッツ・グロスマンに参加したノルウィート・ウィンデッカーは、堅牢設計を好んだシュナイダーとは対照的に、繊細な設計を好んだ時計師で、小径薄型のCal.102系列(テフヌート)の基礎設計を完成させている。現在も同社に籍を置くマイク・フォンデアブルグは、大学で機械工学を修めた後にそのまま入社した新進気鋭で、モリッツ・グロスマンの時代に限るなら、シュナイダーの最後の弟子となった人物だ。ここまでが言わばオリジナルメンバー。第1世代の設計チームと呼べるだろう。しかし16年末にウィンデッカーがチームを去り(現A.ランゲ&ゾーネ)、シュナイダーがフリーランスのクロックメーカーとして独立(17年末に離職。約1年間だけ独立時計師として活動した後、19年2月からラング&ハイネのデベロップメント・ディレクターに就任)すると、モリッツ・グロスマンは、早急に新たな設計チームを構築する必要に迫られる。同社は2017年に、グラスヒュッテ・オリジナルで10年以上にわたって活躍し、Cal.58やCal.37などの設計を担ったイェルン・ハイゼを招聘。新たな設計主任に任命した。続いてETA系列の関連企業で20年以上もエンジニアとして活躍し、ドイツのマイスター時計師の資格も得ているペーター・マテスが参加し、第2世代の設計チームが完成するに至る。このチームになってから約2年。お互いがお互いをカバーし合える素晴らしいチームだと口を揃える。

 彼らの中では最も社歴が長いが、最も歳若いマイク・フォンデアブルグはこう語る。「皆の経験や得意としている分野が違うから、バランスの取れた良いチームだと思います。ペーターは飲み友達で、プライベートなことでも相談し合える仲間。イェルンは問題を解決する力を持っています」。長くスイス時計産業で工具技師をしてきたペーター・マテスのコメントはこうだ。
「マイクは時計業界のルールに縛られない柔軟な発想を持っている。イェルンは理論派。私は手を動かすことで問題を解決するが、彼は全く違うセオリーをよく知っています」

モリッツ・グロスマンの開発を一手に担う新生チーム。このメンバーに固定されてから約2年。ひとつのムーブメント開発を各人が受け持つが、問題が発生した場合は全員で解決に取り組む。

 一方、彼らのまとめ役であるイェルン・ハイゼは、自らのチームを次のように評価する。
「最も重要なことは、我々がお互いの欠点をカバーし合える関係だということです。マイクはとにかくキチンとしていて、データの処理ひとつでも頼りになる存在です。ペーターは完全にスイス人ですね(実際はもちろんドイツ人)。スイスでの実戦経験が長い分、多様なサプライヤーとの繋がりも深く、新しいコネクションを作ってくれたこともありました。彼自身がマイスター時計師でもありますし、手を動かすことで得たその知識は、強力な武器になりますね」
 開発メニューの振り分けは、得意分野を担当させるのではなく、基本的には順番。だからこそ、チームワークが最も大切になってくるのだ。

それぞれの設計者は個性が異なるが、開発メニューの振り分けは、基本的には順番。設計主任のイェルン・ハイゼは、得意な分野だけに特化することなく、チームで助け合うことが最も大切と語る。

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