パテック フィリップ/アクアノート Part.2

アイコニックピースの肖像

1990年代に華開いたパテック フィリップの転換点 Ref.5000番台という新世代戦略

 腕時計ブームの中で、多様な方向性を模索していたパテック フィリップ。1989年に、同社は超複雑時計の「キャリバー89」を発表し、90年代以降は、若い層向けに、スポーティーで実用的な時計をリリースした。それを象徴するのが、Ref.5000番台というリファレンスであり、97年に発表された「アクアノート」である。

広田雅将:取材・文 吉江正倫:写真
[連載第52回/クロノス日本版 2019年7月号初出]

アクアノート

(左)アクアノート Ref.5065A
1998年初出。Ref.5060のケースサイズを38.8mmに拡大し、裏蓋をシースルーに改めたのが本作である。自動巻き(Cal.315 S C)。30石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。SS。12気圧防水。参考商品。
(中央左)アクアノート Ref.5065
SS版のRef.5065が発表された翌年に追加された、18KYG仕様である。基本スペックは右モデルに同じ。サイズの拡大にもかかわらず、小径の5066とまったく同じに見えるのは、デイト表示の大きなCal.315 S Cを採用したためである。参考商品。
(中央右)アクアノート Ref.5065/1A
1998年初出。第2世代モデルには、3連のブレスレット付きも用意された。ケースとブレスレットの重量バランスが良いため、装着感は良好である。よく出来た時計だが、外装の質は、現行のアクアノートには及ばない。参考商品。
(右)アクアノート Ref.5065
1999年初出。もともとラバーストラップを前提としたアクアノートだが、おそらくコレクターからのニーズを考慮したのか、ゴールドブレスレットのモデルを追加するようになった。このページのRef.5065は、基本スペックはすべて同じ。参考商品。

 「私は若い人たち向けに、アクアノートをリリースした時のことを覚えている。私は若い人たちが最初の年にアクアノートを買えるとは思っていなかった。というのも、高年齢のビッグコレクターたちがノーチラスを選び、これこそデイリーウォッチだと絶賛したからだ」。社長のティエリー・スターンは、かつて『Hodinkee.com』のインタビューにこう答えている。

 彼のコメント通り、パテック フィリップは、アクアノートを若い人向けのコレクションとして発表した。そのため高価なブレスレットは廃され、価格を抑えるため、ケース構造も防水性能はノーチラスと同じ12気圧ながらシンプルになった。

 もっとも、パテック フィリップは、このモデルを、単なるノーチラスの弟分とは見なしていなかった。それは、各モデルの進化を見れば明らかだ。パテック フィリップは、アクアノートをよりモダンなスポーツウォッチと見なして手を加えてきたのである。それは、2007〜08年以降いっそう顕著になった。また、リリース当初からクォーツモデルが充実していた点も、ノーチラスとはいささか異なる。

 アクアノートの原型となったのは、言うまでもなく同社を代表する傑作、ノーチラスだった。ある伝説に従うと、デザインが出来上がった経緯は以下の通り。「1974年のバーゼル・フェアに参加したジェンタは、ホテルのレストランで夕食を食べていた。その時にノーチラスのアイデアが彼を襲った。彼は、今日知られているアイコンになるであろう時計をスケッチするのに、5分もかからなかった」(FHHジャーナル)。5分もかからなかった云々は、ジェンタ一流の物言いである。彼とパテック フィリップの技術陣は、少なくとも1975年の夏以降まで試行錯誤を続け、ノーチラスのアイデアを固めていった。

 資料を読む限り、ノーチラスを特徴付けた「耳」は、試行錯誤の結果であった。薄いケースでは、防水性能を高めるためのねじ込み式の裏蓋を与えられない。そこで、ジェンタは、ミドルケースと裏蓋を一体化して防水性を高めるアイデアに至ったのだろう。ちなみに彼は、このケース構造を、1972年のオーデマ ピゲ「ロイヤル オーク」ですでに実現している。もっとも彼とパテック フィリップは、ベストな防水システムを選ぶべく、さまざまなアイデアを検討したことが資料には記されている。幸いにも、オリジナルのノーチラスが採用したキャリバー28-255は、ジョイント式の巻き真を持ち、文字盤側からリュウズとムーブメントを外すことが可能だった。つまり、裏蓋とミドルケースを一体化するにはうってつけだったのである。

ノーチラス Ref.3700/1A

ノーチラス Ref.3700/1A
アクアノートのモチーフとなったのが、ノーチラスである。「耳」でケースを固定する、という防水システムは、30年後のRef.5800まで受け継がれた。フラットな裏蓋により、装着感も優れている。自動巻き。SS(10時~4時方向の径42mm)。1976年初出。参考商品。

 しかし、このケース構造は高く付いた。ケース製造に、切削ではなく鍛造を使っていた1970年代から90年代にかけてはなおさらだろう。また、ムーブメントの不具合を確認する場合でさえも、わざわざ文字盤を外さねばならないのは、整備性の観点からすると、良い設計とは言いがたかった。もっとも、76年にリリースされたノーチラスは、当時最も高価なステンレス製の時計を標榜しており、こういった複雑なケース構造は問題にさえならなかった。また、整備性が問題になるほど、当時のノーチラスは売れたわけでもなかったのである

 もっとも、製造にコストがかかり、整備性に難のある凝った2ピースケースは、〝若い人向けの時計〟にはハードルの高いものだった。同社がアクアノートの開発にあたり、〝標準的〟なケース構造を選んだのは当然といえるだろう。具体的には、ねじ込み式の裏蓋である。

 とはいえ、パテック フィリップは、ベゼルとミドルケース、そして裏蓋を3分割した〝普通〟の3ピースケースで、12気圧もの防水性を与えられるとは考えていなかった。同社はノーチラスに同じく、気密性の高い2ピースケースを採用。しかし、裏蓋とミドルケースを一体化させるのではなく、ベゼルとミドルケースをひとつのブロックで成形することで、コストを下げようと試みた。もっとも、パテック フィリップが期待したほど、製造コストが下がったとは思いにくい。1997年当時、アクアノートのケースは鍛造で製造されており、ベゼルとミドルケースを一体成形するコストはかなり高く付いたと想像できるからだ。ちなみにねじ込み式の裏蓋を選ぶとケースの厚みはどうしても増してしまう。しかし幸いにもパテック フィリップには、キャリバー330 S Cという薄い自動巻きムーブメントが存在していた。

アクアノート

(左)アクアノート Ref.5165A
2007年初出。アクアノートの10周年に際して、Ref.5065はフェイスリフトを受け、Ref.5165となった。しかしわずか2年でディスコンとなったと言われている。アクアノートの中でも非常に珍しいモデル。基本スペックはRef.5065に同じ。参考商品。
(右)アクアノート Ref.5060SJ
2000年前後、シースルーバックにしたRef.5060を再生産。文字盤のデザインが初代モデルと異なる。自動巻き(Cal.330 S C)。30石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KYG(10時~4時方向の径35.6mm)。12気圧防水。参考商品。

 今思うと、パテック フィリップの防水に対するスタンスは極めて慎重だった。12気圧もの防水を得るため、ノーチラスではベゼルとミドルケースの間に幅広のラバーパッキンを差し込み、アクアノートにはダイバーズウォッチ並みの太いOリングを噛ませたのである。しかも、ケースは密封性の高い2ピースだ。過剰とも言える構成だが、パテック フィリップは完全な気密性を求めたのだろう。同社が12気圧防水の時計に3ピースケースを採用するのは、2006年になってからである。

 そう考えれば、アクアノートの初代モデル、Ref.5060がシースルーではなく、ソリッドバックを備えた理由も分からなくはない。すでにパテック フィリップは、裏蓋にサファイアクリスタルをはめ込み、ムーブメントを見せる手法を他モデルで採用していた。しかし、あえてRef.5060にSS製のケースバックを与えたのは、防水性を考慮したためではなかったか。ともあれ、パテック フィリップの入念なスタンスは、ノーチラスだけでなく、小ぶりなアクアノートにも、高い防水性をもたらした。

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