【名作スーパーカー型録】File.07「ランボルギーニ カウンタック 25th アニバーサリー」

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Lamborghini Countach 25th Anniversary
ランボルギーニ カウンタック 25th アニバーサリー

カウンタック 25th アニバーサリー

[GENROQ Web 転載記事]
山崎元裕:文
Text by Motohiro Yamazaki

最大のライバル、フェラーリを相手に……

 以前、「カウンタック」のファーストモデルであるLP400の誕生から、その改良型であるLP400S、LP500S、そして5000クワトロバルボーレに至るまでの進化のプロセスを解説した。ちなみに5000クワトロバルボーレにとって直接のライバルとなったのは、デビュー前年となる1984年に誕生していたフェラーリ テスタロッサ。そのミッドに搭載された、5リッター180度V型12気筒エンジンは、最高出力で390psを発揮する。対するランボルギーニ カウンタック5000クワトロバルボーレが搭載する5.1リッター60度V型12気筒エンジンは455psというスペックだったから、対テスタロッサに対してのアドバンテージは数字のうえでは十分すぎるようにも感じる。

 だが、1970年代半ばからマイナーチェンジを続けることでスーパーカー市場に存在し続けたカウンタックは徐々にその魅力を失い始めていく。一方でフェラーリは、12気筒ミッドシップとしてBBシリーズに続く第2世代の始まりともいえるテスタロッサをデビューさせ、その斬新さに市場からの視線が集中した。

カウンタック 25th アニバーサリー

デザインを手がけたのは、オラチオ・パガーニ!

 ランボルギーニは当時、アメリカのクライスラー社の傘下にあり、創立25周年にあたる1987年が直前に迫りつつあった。そこで考えられたのが、自らの創立25周年を祝う、その名も「アニバーサリー」を名乗る記念モデルを製作することだったのだが、実はこのアニバーサリーの発案、そしてプロジェクトの進行には親会社たるクライスラーは一切タッチしていない。クライスラーのトップは、一日も早く、すでに旧態化したカウンタックに代わる新型車を完成させることに集中しており、それが最優先すべき課題としていたからだ。実際にカウンタックの後継車となるディアブロが誕生するのは1990年。アニバーサリーのデビューからはまだまだ先の話である。

 アニバーサリーの開発で、チーフ・エンジニアに指名されたのは、ルイジ・マルミローリ。デザインはこのアニバーサリーでベルトーネの手を離れ(エンブレムはそのまま残されたが)、ランボルギーニの契約デザイナーであった、現在はアウトモビリ・パガーニを率いる、オラチオ・パガーニが指名された。

カウンタック 25th アニバーサリー

 実際に完成したアニバーサリーのボディは、サイドステップ後方やリアウイングの上部にエアを採り入れるためのスリットが設けられたほか、ホイールやスポイラーのデザインを一新。25周年を表すエンブレムをリアパネル上にフィットし、リアのコンビネーションランプを小型化するなど、基本的なカウンタックのシルエットを継承しながら、パガーニらしい繊細で美しいディテールが与えられた。北米仕様とその他の市場で、5マイルバンパーや灯火類など、エクステリアでの差別化が図られているのも特徴だ。

カウンタック 25th アニバーサリー, 内装

 インテリアも同様で、シートはバックレストを電動でアジャストできるものに変更。ステアリングもレザーでセンターパットを包む高級感のある仕様にアニバーサリーでは改められている。ちなみに、エンジン等のスペックには変化はない。

カウンタック 25th アニバーサリー

カウンタック史上、最多を記録!

 アニバーサリーは、後継車のディアブロが1990年に誕生するまで生産が続けられた。生産台数はこのアニバーサリーが最多で657台。5000クワトロバルボーレは632台、LP500Sは323台、LP400Sは237台、そしてLP400が150台と記録されているが、これにはもちろん諸説がある。確実にいえるのは、カウンタックのシリーズ中、最も大きな成功を収めたのは、このアニバーサリーだったということ。それでもまだこの時、ランボルギーニに創立50周年が訪れるのかどうかを疑問に感じる者が多かったことは確かだったようだ。

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